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陸上競技 鵜生川 早紀

2014/04/17

陸上競技 鵜生川 早紀 (太田商業高校 教諭*2012年7月当時)

*一部分のみ掲載。全文章及びグラビアは『ありがと!臨時増刊号 Vol.30「群馬☆アスリートの女神Vol.1」』をご覧ください。群馬県内の文真堂書店やアマゾンで購入できます。

<「もう、陸上なんかやめちゃおう」と落ち込んだ3年初夏のインターハイ県予選。*当時、高崎女子高校>
――陸上競技での成績はいかがでしたか。
 1年生の国体で3位表彰台に上がらせてもらいましたが、インターハイは今一つでした。1年生の時は関東大会敗退で出場できず、2年生の時こそ出場は果たせましたが疲労骨折で散々でした。最後の3年生は県総体でケガをしてしまい、リレーの補欠メンバーでインターハイには行きましたが出場はできませんでした。
――ケガに泣かされたわけですね。
 特に、3年生の県総体でケガをしたときは新聞にも色々書かれて、とても落ち込みました。
――どんなふうに書かれたのですか。
 「優勝候補、ケガ」「あきらかな調整不足」…でした。その記事が出た後は「もう、陸上競技は辞めよう」と思いました。その時は、顧問の先生に色々気を使っていただき、気持ちを整理することができましたが、本当にインターハイには縁がなかったですね。
――そのケガというのは?
 リレーの予選で肉離れをしました。私は2走でしたが、1走の子に「早紀ちゃんが凄い傾いた!」と言われました。私も走るどころか立っているのも大変なぐらい痛みを感じたのですが「なんとかバトンだけはつなげよう」と必死でした。バトンをつないだ後はバタンっと倒れました。
――前兆はあったのですか。
 やり投に出場して、そのあとリレーの予選でした。恐らくアップ不足だったと思います。違和感もなく、突然でした。
――走幅跳は棄権したのですか。
 走幅跳は翌日でしたので、テーピングをぐるぐる巻きにして短助走で出場しました。結果は1㎝差で上位8人に残れませんでしたが、そんなことより、痛くて痛くて、どうしようもなかったです。泣きながら跳びました。
――専門医に通ったのですか。
 はい、治療は専門医に診てもらいました。普通に走れるまでに1か月半ぐらいかかりました。
――そうすると筋肉を戻すまでにさらに1か月近くかかるので、完治は早くても8月下旬ですね。国体予選にギリギリ間に合うかどうか? でしょう。
 私にとって幸運だったのはケガをしたのが県総体だったことです。これがもし関東大会だったらインターハイはもちろん国体も棒に振っていました。ケガをして一人で泣いている時、前橋育英の安達先生から「このタイミングは凄い意味があるぞ」と励ましてもらいました。「切り替えて頑張れ」と言われ、救われた気持ちになりました。新聞で酷評され落ち込みましたが、安達先生の言葉がなければ本当に陸上競技を辞めていたかも知れません。
――うまく目標を国体に切り替えたわけですね。
 でも…、今でも高校3年生のインターハイ予選は後悔しています。一生後悔し続けると思いますね。
――インターハイに重きを置いていたと…。
 高校生にとってはインターハイが全てです。県、関東と、厳しい予選を勝ち抜いて全国の頂点をつかむ大会ですから。いくら国体で優勝したとしても…、やはり違いますね。