群馬県スポーツ情報誌「Gsports」の公式サイトです

新着情報

【バックナンバープレイバック Vol.7】 当時・高校3年生、内田美希 ロンドン五輪代表!③~<アスリートの女神2012掲載>

2020/10/13

アスリートの女神2012 内田美希 当時関東学園大学附属高校3年生
ロンドンオリンピック 競泳 女子400mフリーリレー日本代表
文・Gスポーツ編集長 吉岡正晴

*見出し・本文の所属及び肩書、情報は全て取材時のものです

第二章 ~天才スイマー誕生の真実~
小学1年生で選手コースに抜擢。
――水泳は4歳から始めたそうですね。
 はい4歳から始めました。姉が水泳をやっていたので、それに続けて私も「やりたい」と言いました。スイミングスクールにはお迎えで来ていて、姉が気持ちよく泳いでいる姿を見て、自分も始めたくなったのだと思います。

――始めた当初は一週間に何回の練習でしたか。
 一週間に3回くらいだったと思います。

――選手コースに昇格したのはいつですか。
 小学1年生です。その前に「選手コースにならないか?」と声をかけてもらいました。

――かなり早いですね。
 そうですね。周りは年上ばかりでした。

――当時から「将来は水泳選手になろう」と思っていたのですか。
 その頃は、何も考えていませんでした(笑)。

小学3年生のJOCで初めてのメダル獲得!
――自信がついたのはいつごろですか。
 小学3年生の春です。JOCで初めてメダルを獲れて、ちょっと自信がつきました。

――当時のスタイルは?
 大会にはバラフライを中心に出場していました。小学3年生の春のJOCでメダルを獲ったのもバタフライです。

――いつから自由形がメインになったのですか。
 中学1年生の夏が終わってから自由形に転向しました。

――そうすると、転向後すぐに目覚ましい活躍となったわけですね。
 そうなりますね。中学2年生になると大会でも良い結果を残せるようになり、50m自由形では「同世代の子に負けるわけがない」と思えるようになりました。

――自由形に転向する前から練習ではクロールも時間を割いて泳いでいたのですか。
 基本はバタフライで、クロールもちょこちょこやっていました。

――自由形転向はご自身の判断ですか。
 いいえ、コーチに言われました。泳ぎ方を見ていて「自由形にさせたいと思った」と聞きました。

「ストロークが遅い」と言われ悩んだ日々!
――ストロークが大きいのが特徴でありアドバンテージですが、その長所は自由形に転向する前から自覚していたのですか。
 全く自覚なんてなかったです。逆に親からは「周りの子に比べてストロークが遅い」と言われていました。自分では「どうやったら速くかけるのだろう」と思っていました。

――逆にネガティブな印象を持っていたのですね。
 最初はそうですね。ストロークが大きいのでどうしても遅く見えるようです。

――ストロークを速くしようと努力したでしょう?
 速くかこうと思っても、できないので諦めました(笑)。

――今まで、泳げない時期が続くような怪我や病気はありましたか。
 そこまで大きいのはないですが、小学5年生の夏にぎっくり腰をしてしまい、完治するのに秋までかかりました。

――それは陸上トレーニングでのアクシデントですか。
 それが、水泳の合宿中にくしゃみをして腰が曲がらなくなっちゃった感じです(笑)。でも普通に練習していましたね。

――今までスランプはありましたか。
 う~ん。タイムが出ない時期を感じたことはないです。

――水泳を辞めようと思ったことはありますか。
 それはないです。

――楽しくてしょうがないと。
 楽しくないですけど(笑)。嫌だと思うこともありますが、辞めたいという結論にたどり着いたことはないです。

――自分自身にとって一番大事なものということですね。
 そうですね。水泳をとったら何も残らないので。

同世代のライバル・川上さんには「100mではこのまま勝てないのかな?」と思うこともあった!
――現在、172㎝と長身ですが、小学生のころから背は高かったのですか。
 はい、ずっと背は高い方でした。いつも一番後ろの方ですね(笑)。

――小学生のころから休みもほとんどなかったでしょう? 他の子のように遊びたいと思ったことはありますか。
 小学生のころはみんなと遊んでから練習に行っていたので遊びたいとはそんなに思わなかったです。でも、中学高校では遊びたいですね、もっと(笑)。

――今は遊ぶ時間はないですよね。
 ないです。勉強する時間もそんなにないですから。

――明和中学を卒業して関東学園大学附属高校に進学しました。関東学園大学附属高校のどんなところに惹かれたのですか。
 近いところです(笑)。姉が通っていたことも少しは決め手になりましたが、なにより自宅と学校とスイミングスクールが近いのが一番の理由です。

――同世代でライバルと意識した選手はいますか。
 川上(真央)さんです。小学生のころから大会でいつも競っていました。50mは私の方が速かったのですが、100mはいつも彼女に負けていました。「このまま勝てないのかな?」と思うこともありました。

ハギトモさんに勝った時「ここまで来ちゃったんだ」と実感。
――中学3年生の日本選手権で決勝に進出し見事5位入賞に輝いています。これはご自身にとってどんな意味を持つ大会でしたか。
 メダルを獲れるほどでもなかったので「こんなものか」という感じです。生意気なようですが、私は国内ではどのレベルの大会でも入賞では満足できません。

――中学3年生の全中(全国中学校水泳競技大会)優勝や高校1年生、2年生のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)優勝はいかがですか。
 全中の優勝は勝てると思っていましたね。インターハイも100mは接戦で勝てないこともありますが、50mは勝てると思っているのでターニングポイントにはならないですね。同世代の選手と争う大会の結果は成長を感じるというより使命のようなものですね。

――小学3年生の春のJOCで初めて自信をつかんだとおっしゃっていました。さらにその上の、今の自分を確立するターニングポイントとなった大会はどれですか。
 水泳はずっと本気で取り組んできましたが、もっと本気になったのは高校1年生の2月です。短水路のジャパンオープンでハギトモさん(萩原智子選手)に勝った時です。あの勝利で気持ちが切り替わりました。

――萩原智子選手に勝ったことの意味を感じたわけですね。
 「ここまで来ちゃったんだ」と思いました。引き下がることも生半可も許されない世界に足を踏み入れたことを実感しました。ハギトモさんはそれぐらい偉大な存在です。

夢の舞台でも「一番」を狙います。勝ちを実感できるのは一番だけです。
――今までで、一番誇れるタイトルや記録を教えてください。
 やはり、ロンドンオリンピック選考会前にあった、JOCジュニアオリンピックで、50m自由形24.58で短水路日本新記録を奪回できたことが今のところ、一番誇れます。自分の持っていた短水路日本新記録を塗り変えられてしまい、どうしても、日本新記録を取り戻したかったので、本当に嬉しかったです。その時の写真は、久々の笑顔でした。

――今後、一番欲しいタイトルや記録は?
50m自由形と100m自由形個人で、派遣記録を突破し、オリンピックに出場することです。そして、勝つことです。

――レース前はどんなことで、心を整えていますか。
深呼吸です。またAKBの曲を聴いて、リラックスしています。

――水泳での宝物や思い出の品は?
皆さんからのメールが宝物です。励まされたり、応援してもらったり、それらが心に残ります。思い出の品というか、AKBグッズはどんどん増えていますね。これは水泳とは関係ないですね(笑)。

――大会前にかならず食べるものはありますか。
特に大会前にこれを必ず食べるということはありませんが、肉大好きです。おなかいっぱいでも、お肉料理出されると、いくらでもいけます。「肉は別腹だね」と言われます。

――水泳選手として将来の夢はなんですか。
リオデェジャネイロオリンピックの日本代表として、世界の頂点となれる選手になりたいです。

――最後にロンドンオリンピックへの抱負をお聞かせください。
応援してくださる皆さんが、感動できるような闘いができるように頑張りたいです。オリンピックは「参加することに意義がある」といわれていますが、夢の舞台でも「一番」を狙います。レースで優勝できなかったら負けです。勝ちを実感できるのは、一番だけです。メダルを取れても、金メダルでなければ負けだと思います。負けないために頑張ってきますので、応援よろしくお願いします。
(2012年4月16日・5月7日・5月10日取材、及び加筆)

*「2012年 ロンドン五輪前のプロフィール」はその①をご覧ください